東京マラソン

そういえば東京マラソンを走った。
去年に引き続き2回目2年連続。

最近なにかと運がいいなと思っているところ、以前はどれだけ応募しても当選しなかった東京マラソンに2年連続で当たったんだからやっぱり運がいいんだなと答え合わせでもできたような気になっている。

そう俺は今、運がいい。

ここで『僕』じゃなく『俺』と書くあたり運がいいどころじゃなく調子に乗っている感も出ているなと自分でも感じてしまう。気をつけろよ俺。

さてと、そうはいっても運だけじゃ走りきれないのがマラソンで、そこは練習が必要だから週に一度や二度は走り込みを続けながら本番を目指していた。

とはいえ去年辺りから海外出張に行く機会が一気に増えたものだからなかなか思うようには走れず、結局本番直前もマレーシア出張に行っていたから長距離の飛行機移動で足がむくんでいる上にふくらぎに痛みを感じていて、これはもう今回はまともに走れないだろうなとあきらめの境地に達していた。

そんな不調が当日の朝も続いていて、なんならスタートしてからもふくらはぎに痛みがあったからどこかで棄権でもしようかという危険な考えが頭の中をぐるぐると回っていた。ぐるぐるぐるぐる。

それでもなんとかいいペースで走り続けられたものだから「やっぱり俺すげー」と自分を褒め称えながらニヤニヤと走っていたものの、そこはマラソン大会本番のマジックで、変なアドレナリンが出ていただけの話。

結局、いわゆる『30キロの壁』というものが想像以上の高さでそびえ立っていて、30キロを過ぎた辺りからは痛んでいたふくらはぎがさらに痛みを増し、「これまで一緒に頑張ってきたじゃん、最後までがんばろうよ」という本体からの呼びかけにもまったく従う気がないかのように持ち主である自分をひどく苦しみ始めてきたから「なんだこいつまじか許せねぇ」と体内での内戦を勃発させていた。

(いやもう何を書いているかよくわからなくなってきた。たぶん昨日飲みすぎたせいだ・・・。)

そうして一旦は立ち止まり、道路横のガードレールに手をかけストレッチをしたもののそれくらいのことではごまかしようがないことを悟り、とにかく前へと進むことだけを考え、日頃の卑猥な妄想や、妬みや僻みや恨みやつらみもすべて置き去りにしてゴールを目指した。

沿道から聞こえる「がんばれ!がんばれー!」という声援の数々はいつだって「いやむしろお前ががんばれよ」という反発しか生まなかったはずなのに、残り1キロ、ゴールまで最後のコーナーを残すだけの直線は石畳のせまい東京駅丸ノ内中通りで、両サイドからの応援は激しさを増すたびに力になり、むしろこんな大勢の前で誰が止まることができるんだ?恥ずかしくて止まれるわけがねーだろ!そうだよなぁ!?という反骨心を呼びお越し、けれどごまかしようのない足の痛みに顔がゆがみ、なぜか昔の彼女との思い出が走馬灯のように頭に浮かび、ゴールは間近に迫り、空は青く、3月にしては暖かい陽気で、汗で湿った帽子は重みを増していて、背中の筋肉は味わったことのないような痛みを差し出してきて、応援する人たちの声は遠くの方で聞こえるような気がして、けれど耳の奥で響き、温かく、やさしく、心地よく、涙が・・・溢れてきた。

俺、なんで泣いているんだろう、変なの、アハハ、と思いながらゴールを迎えた。

そうやって走りきった東京マラソン3時間45分51秒、これが今の自分の精一杯で、運とかは関係のない実力なんだと力強く伝えたいし誇りたい。

(たぶん2日酔いのせいでこんなこと書いているんだろう・・・)

そしてまた人生という孤独な戦いの中での勲章を手に入れた。

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