中年独身男性が料理をしたら謝らなくちゃいけない当然の理由

 

料理をするのが流行っているらしい。
 
わかる。
こんな世の中だ。
 
自分ももれなくそのひとりだ。
 

嬉々として料理をし、皿に盛り付けお盆に並べ、見映えを気にして写真に収め、出来が良ければInstagramなんかに挙げてみる。

<↓自分作>

しばし料理に箸をつけず、自己満足に浸る。

いざ食べるときにはすっかり冷めてしまっている。
それでもなぜだかすこぶる料理が美味しい。
幸せってこういうことなんだろうか。

いやたぶん違うだろう・・・。

愛する家族のために料理をし、美味しく食べてもらい、「おいしい!」と言ってもらう。その三点セットとサンキューセットでようやく幸せはできあがる。

それにくらべて自分ときたら、愛されない自分のために料理をし、雑に食べ、無言で食器を片付ける。

なにひとつ揃ってない。
三点セットどころか一点もない。
サンキューなんて言葉あるわけもない。

料理を終えてひと休みしたら、ようやくイッキュー程度だ。

知らない誰かから見たら結構に滑稽で格好が悪い光景だろう。って、いやいや、僕のことは放っておいておくれ。

世の中滑稽なことだらけだ。料理を世に晒すくらい許して欲しい。

ところで料理をしてみてふと思ったのは・・・

世の母親達がいかに大変かということで、毎日家族のために無償の愛でもって料理を作り、配置を考えながらお皿を並べ、家族の反応をうかがいながら食事をし、けれどいつの日にかなんの感謝の言葉も得られないようになっていて、食べ終わった食器を運んで手を荒らしながらひとり台所で洗う、そう考えとき・・・

軽く嗚咽した。
オエツしながらオエッともした。

そうやって濁った涙を流したあと、自己満足で自分のためだけに作った料理を恥ずかしげもなくアホ面下げて晒している自分がなんだかとてもおこがましく思えてしまって・・・

すいません。
なんかすいません。

と誰にともなく二度謝ってみた。

なにしろ料理にはしょくざい(食材・贖罪)が欠かせないんだから・・・。

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