目の前に座る男が降りる素振りを見せ始めたから、ああ、この人が次の駅で降りたら座れるな、とぼんやり考えていた。
電車が駅に着くと予想通り男は立ち上がり、けれど次に彼の斜め前、つまりは自分の隣に立っていた親子連れに「どうぞ座ってください」と声をかけ、正面に立つこちらをちらりと一瞥、軽い視線で牽制したあと電車から降りていった。
え?どういうこと?
彼ときたら「どう俺?かっこよくない?」的な態度を全面に押し出し、さらにはなぜだか「おまえには座らせないよ?」的な敵意を含む感情をムキムキにむき出していた。なにこの感情のマッチョ・・・。
そうしてその親子であるところの父親が自分の娘をその空いた席に座らせたわけだけれど、いやいや、そこって目の前に立っていた俺の席じゃないの?的な暗黙のルールのようなものだとか、まぁ、朝の通勤電車に乗る子供はなにかと大変だよね可哀想に、だとかいった哀れみの感情だとか・・・
そういったあらゆるものをすっ飛ばして、そもそも席を譲る役は俺にやらせろよ!おまえが決めることじゃないんだよ!という思考に至った。
その辺りの気持ちをうまく整理できなくてしばらくの間なんともモヤモヤとした気持ちになり、なんなのこれ?更年期障害なの?閉経するの?ってゆーか、おっさんにもそういうのあるの?などと思っていたけれど、いやいやちょっと待て、と少しするとはっきりとそのモヤモヤの原因に気が付いた。
つまり、ああ、そもそもこいつ、ずいぶんと前からその親子の存在に気付いていたのに何駅も見て見ぬふりで座り続けていたくせに、いざ自分が降りるというときになってようやく席を譲ったんじゃないか、という点だ。
降り際になって急に良い人ぶるんじゃないよ。
譲るつもりならもっと早くにそうしておけよ、という話だ。
結局、彼は何も差し出していない。
そしてその親子は次の駅で降りていった。
なんとも賞味期限の短い親切だ。
むしろ出がらしでしかない。
・・・と思ってみたものの、恐らく自分がモヤモヤすること自体間違っているんだろう。
そうして自分は本当に小さな男だなと改めて気づいた。
そう、満員電車の中で気づいたのは自分の器の小ささだった・・・。