空白の、たったの10分

先週の中年独身男性Aこと自分は姫路への出張帰りに名古屋の友人宅にお邪魔することにした。

名古屋駅まで迎えに来てくれた友人の車は背が高く眺めがいいものの、降りる際にはその高さが災いしてポケットからずり落ちたスマホは激しく地面に激突して前衛的な模様を描くようにヒビだらけになった。

目の前の悲劇に堪えきれず大きな悲鳴を上げたものの時は戻せないし、起きてしまった出来事は取り消すことはできない。

長年かけてようやくほんの少しだけわかり始めたこの世界の仕組みを改めて思い知らされた気がした。

スマホはこれからの芸術世界を切り開くような幾何学模様を誇らしげに見せ続けていたし、自分はといえば過去に失ってきた愛する人達を取り戻すことはもうできない。

ああ、人生とはかくも儚きものか・・・。

そんな失望と落胆の中、友人は飲みに行こうと夜の街へといざなうものだから心ここにあらずのままに彼の家を後にしバス停へと向かった。

しばらくしてやってきたバスへと乗り込みスマホの修理をどうしたものかと考えていたところでふとお尻のポケットに入れていた財布が無いことに気づいた。

ああ、そういえばバス停のベンチに財布を置いたんだった...

友人にそのことを伝えると彼は即座に娘に連絡した。そしてバス停を見に行ってくれと告げた。

バス停を離れてからまだ10分ほどしか経っていなかった。

しばらくすると友人の娘から連絡があった。そして財布は無かったという悲報を受けた。

正直なところ財布はバス停に放置されたままだろうと楽観していた。だから財布がないと聞いた時には後頭部から金属バットでぶん殴られたような気分になった。

死にますな、そんなんされたら...。

クレジットカード6枚にキャッシュカード2枚、マイナカードも免許証も船舶免許もETCカードも歯医者の診察券もマッサージ屋のポイントカードも何もかもが入っていた。

吐き気がした。

そして僕こと財布を無くした哀れな独身中年男性Aは警察に電話をした。

そんなわけで財布を無くした中年男性Aであるところの自分は「日本では落とした財布は戻ってくるんだよ」なんてウソで塗り固められたテレビ番組に裏打ちされた安全神話にすがることになった。

とはいえ、実際のところそんなものは街中に張り巡らされた監視カメラを恐れての行動でしかないとも思っていたので半分諦めてもいた。

そして友人宅の近くには頼りになるような監視カメラはどこにもなかった。

こりゃあかん。

そうして悶々とした夜を友人宅で鬱々と過ごし、翌日は東京で予定があったので午前中には名古屋を後にすることになった。

新幹線へと向かう改札前で改めて警察に電話したものの財布は届いていないという。

残念だけれど財布は諦めよう。

ふんぎりをつけて東京へと向かう新幹線に乗った。

人は過去に囚われて生きるべきじゃない。そう自分に言い聞かせて流れる窓の外をぼんやりと眺めていた。

そこへ警察から電話があった。

「財布、ありましたよ」と。

僥倖...。

諦めていただけに喜びはひとしお、ついでに着払いで東京まで送ってくれるという。愛知県警素晴らしい。

その後、拾った方の連絡先も教えてもらったので連絡してみると、ご本人は一週間ほど前に財布を盗まれて大変な目にあったとのこと。だから困っているだろうと拾って警察に届けたと(翌日にはなったけれど)。

なにかお礼をしたいのですが?と聞くと、あなたが元気な様子を電話で知らせてくれただけで十分ですよと。

78歳のご老人だった。
ありがとうございます。
助かりました。

この国はまだまだ捨てたものじゃないなと思ったとさ。

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