フィリピン出張記(復路編)2年ぶりにようやく行けた海外出張

往路編に次いでの復路編です。
往路編に関してはこちらになります。

フィリピン出張記(往路編)2年ぶりにようやく行けた海外出張

フィリピンへ渡航で必要となった事柄は別でまとめてみました。
もし興味があればこちらを御覧ください。

フィリピン渡航情報『出張や旅行で必要となったこと』(2022年3月15日出発)

久しぶりの海外出張を無事に終え、成果はなく、けれど帰りのチケットを持っての出国しか許されていないので期限がくれば帰るしかなく、なんとか成田空港にたどり着いたもののそこから日本政府が実施する感染症対策を受け、実際に日本に入国するまでに結構なハードルが用意されていましたので、そのあたりについて書かせていただきます。

そして飛行機は成田に着いた

日本に着き、飛行機から降り、タラップを渡り切ったあたりで感染症対策の担当らしき女性二名からここで待つようにと指示を受けました。乗客全員がそこで二列に並ばされしばらく待機させられました。

フィリピンから日本へ向かう機内はいわゆるガラガラ状態で、前も後ろも斜めすらも誰もいませんでした。そのため、二列で作られた行列の長さもそれほど長くはなく、40〜50人程度であったように思います。

気になったのは、担当の女性二名のどちらもが、フィリピン人に対してすべて日本で質問していたことでした。JALのキャビンアテンダントのようなキリッとした感じもなく、空港職員ならではのキビキビした様子もなく、もしかしたらアルバイトなのかなと想像しています。

二列のままに移動を促され、通路の先の椅子の並べられた場所の手前で事前にインストールと登録しておくべきアプリ『MySOS』の確認が行われました。

このアプリ、すべての登録が終わっている人は画面が緑色に、直前のPCR検査の結果が入力されていない人の画面は黄色に、そしてその他『誓約書』や『ワクチン接種証明書』が登録されていない人、もしくは入力に不備があった人、さらには登録がまったくされていない人の画面は赤色に表示されます。

ここで赤色・黄色組と緑色組とでその後進むべきルートが分けられました。緑色の人はどうぞ進んでください、その他の人はここでお待ち下さいというものです。

自分は事前にPCR検査結果の登録をし忘れていたせいで黄色でした。

出発前のフィリピンでは黄色でも赤色よりはましだろうときっと優遇されるだろう、とあまり気にしていませんでしたが、このあと緑色にしておかなかったことを激しく後悔することになりました。

PCR検査結果(もちろん陰性のもの)の登録は搭乗便到着予定日時の16時間前までに登録しておくことが必要になりますが、陰性結果の証明書を受け取ったことで満足してしまい登録を忘れてしまったせいでこんなことになってしまいました。

ちなみにすべての登録を終えて緑色になった状態をファストトラックと国が呼んでいますが、たしかに東京ディズニーランドのファストパスのように黄色・赤色が行列で待たされる間にスイスイと進んでいくことができていて、それを横目に見ることでとても悔しい思いをさせられました。

海外から帰国される方には必ずこのファストトラックを取得しておくことをおすすめします。黄色であることになんの意味もありません。赤色と同じです。

日本政府は外国人留学生がお好き

さて、最初の分岐点となった場所ですが、そこでなぜか何人かの外国人だけが先に案内されていくのでなにかと思って聞いてみると「国費でやってきた留学生達なんです。彼らはショートカットで案内されます」という説明を受けました。そして次に担当の彼女は残った我々に対し「一般人の方々は少々お待ちください」とこちらが庶民であることをわかりやすい言葉でわからせてくれました。

しばらく待ったあと、また並んでの移動を求められたのですが、待っている間も並んでいる間も、密状態を回避しようとするような工夫がまったくされていなかったのが少し気になるところでした。

書類を確認する必要があるかの確認が必要かもしれない

書類の確認が終わったあとに連れていかれた場所では正式に書類を確認するための窓口でした。

ここで一旦帰国後の成田空港の検査体制を以下に並べると・・・

  1. 到着
  2. 簡単な書類確認
  3. 正式な書類確認
  4. 唾液検査
  5. 唾液検査書類確認
  6. 簡単な書類確認
  7. スマホのQRコード確認
  8. 二度目の正式な書類確認
  9. 唾液検査結果取得
  10. 唾液検査結果取得書類確認
  11. 入国審査

ザッとこんな感じで一体何回書類確認すれば気が済むのかと・・・。

さて、そうこうしているうちに8の二度目の正式な書類確認の列にまで辿り着くことができました。しかし、ここで「撮影禁止」の張り紙を見つけてしまったので撮影が出来なくなってしまいました。見なければよかったのですが、見てしまったあとでは全てが故意となってしまいます。思春期の男女のイベントみたいなものですね。すべてが恋になるだなんて。

いや、すいません。

それにしても黄色のなんと無力なことか。膝から崩れ落ちそうになりました。このときの時間午後8:50。到着が午後7:40でしたから、もう一時間もこの手際の悪い手続きに付き合わされていることになります。

ここで列の後ろに並んでいた長身の白人男性が「ところでこれってあとどのくらい時間がかかるかわかる?」と聞いてきたけれどそんなこと誰も知るわけがない。わからないと答えたあとで気になって「アプリの色は何色?」と聞くと赤だというからそりゃダメでしょうね、と思ったもののうまく英語で答えられないから黙っておきました。

ここも戦場だ

後ろの白人男性がポーランド人だということが判明しました。

ウクライナとロシアの戦争大変じゃないですか?と聞くと、いやまぁ、ポーランドには今のところ影響はないよと早口の英語で返してきてくれました。どうやら熱い思いに火を点けてしまったようで、手で払いたくなるくらいに近い距離でまくし立ててきたのですが、結局のところ「ウクライナから多くの難民が来てるけど、それは戦争前からそうだからね。ポーランド自体はまだまだ安全だよ」というものでした。

そして、ベルリンやドバイに行った時には3回のワクチンを接種済みで、PCR検査の結果も陰性であれば簡単に出られたんだけどねとぼやくのでした。「すいません、日本って何するにも無駄なことだらけなんです」口には出さず心の中で謝っておいた。

ところで、このあたりまで来てわかったのが、MySOSのアプリが緑色であればここまで一気に来ることができるというものでした。PCR検査の結果待ちの時間はあるけれど、検査を受けるまでの時間や列に並んで立ち続けていなければ時間などを考えるとやはりファストトラックは取っておくべきだというものでした。

ここで列に終わりが見えたものの、その先に待っていたのが何度目かの書類確認を終えた後のさらなる書類確認で、次に向かわされたのが待機場所でした。ここでようやく椅子に座ることができます。

ここではスピーカーから絶えず番号が読まれており、それはPCR検査の結果が出たことを知らせるものでした。

「1504場、1504番、1505番、1505番」二回ずつ呼ぶのが彼らのやり方らしいです。

そう気づいたのはいいですが、同時に軽く絶望したのが、スピーカーから告げられている番号が自分の番号よりはるかに小さな数字だったからで、これはもうあと一時間は待機しなければいけないなと覚悟をしました。そして実際にはそれ以上待たされることになりました。

ようやく入国

午後10時過ぎ。

成田空港に着いてから2時間半以上が経過したころ、ようやく自分の番号が呼ばれました。

呼ばれて検査結果を教えてもらえる場所へと向かい、番号を告げ、そして検査結果が告げられました。

結果・・・

陰性。

ホッとするとはまさにこのことですね。これでようやく入国審査へと迎えます。

入国審査は外国人と日本人で分けられているのですが、外国人はここでもさらに列に並ばされていたのでたいへんそうでしたが、自分は自動の審査機械を待たずに通り抜けることができました。

そういえばそういう仕組だったと二年前のことを思い出しました。

その後、ターンテーブルの横に置かれた荷物を取り、税関カウンターを抜け、間際に発車時刻が迫っていた京成スカイライナーに乗り込んだのが午後10:33。家に着いたのは0時過ぎでした。

そういえばPCR検査の結果待ちの場所で、真っ青なスーツを着て長身な、お笑い芸人のアルコ&ピースの平子祐希のような人物が係員に「いったいどれだけ待たせて、どれだけ無駄なことすれば気が済むんだよ」と高ぶって攻め立てている様子を見せていたので、それを「あーあーやってるな」と横目に見ながら他の担当に「クレーマーがいて大変ですね」と話しかけると「いつもなんですよテヘヘ」と笑っていたのですっかり慣れてしまっているのでしょう。

正直、なにかと改善が必要と思える成田空港の感染症対策でした。

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