このブログはひっそりと始め、こっそりと続けていければいいなと思っていたのに、なぜだか自分から知り合いに教えてしまったために、ある意味書き込む内容に制限を受けることになってしまった。
自分から殴られに行くパターンで少々痛々しい。
けれど、そんなことはまったく気にしない。
なぜなら年齢と羞恥心は反比例の関係にあるのだから。
さてと、ずいぶんと前のこと、その細道の雰囲気が好きだからと、いつも通っていた帰り道沿いにあるペットショップには、お店が開いている間はずっとオウムが表に出されていて、誰の言葉で覚えたのか「サヨナラ、サヨナラ」と別れの言葉ばかりを繰り返していた。
そんなのはなんだか悲しいから、いつからか通り過ぎる度に自分の名前を告げていくことにした。
いつか自分の名前を呼んでくれると良いなと思って始めたことだけれど、その話を友人にすると「それだと『サヨナラ』のあとに自分の名前が呼ばれる可能性があるよね?そうなると余計に寂しくなるね」と言われて、「ああ、確かに」と納得したのを覚えている。
けれど、そうなる前のあるとき、そのペットショップは閉店しまい、もうオウムの「サヨナラ」を聞くことができなくなったことが、毎日「サヨナラ」を聞くことよりも余計に悲しくて寂しいことだと知った。
そういえば、いつかのある日、出張で神戸に行くと、新長田駅の近くで鉄人28号が威勢の良いポーズを取ったまま固まってしまっているのを発見した。
子供の頃から見続けてきた日本のマンガやアニメの中にはヒーローや正義の味方が掃いて捨てるほどに溢れていて、悪なんてはびこったことは一度もなかったのに、実際に生きてきたこの国ではあまりに正義は無力で、悪者達がのさばっていて、なんなら世を正すべき政治家達が一番のウソつきで能なしのクソ野郎だらけで絶望しかけていたところ・・・
やっぱり鉄人28号ですら無力感から動くことをやめてしまったのだろうか。この国はいったいどこに向かっているんだろう。
僕は何かを期待して、鉄人に「サヨナラ」を告げずにその場をあとにすることにした。