北海道旅行2021(その2)

B!

2日目の北海道も相変わらずの雨だからなんとも気分が乗らない旅行になっている。

けれども予定は未定のままに行き当たりばったりの旅にしているおかげで、昼まで大雪山に行こうと思っていたけれど、やっぱり富良野に行きたいな、と予定を変更するというような気ままなことはできている。

富良野に行こうと思ったのも久しぶりに「北の国から」のロケ地が見たくなったからで、もうずいぶんと前に別れた彼女と行った以来だから10何年かぶりの場所になる(ああ、もうそんなに経ったか・・・)。

正直、その彼女を思い出すからと避けていた部分もあるけれど、もういい加減自分の記憶から消えているだろうと来てみたら意外と思い出して動揺している。自分、思ったよりも性能のいいHDDを持っていた様子。

とはいえ忘れよう。
相手はもう二児の母で幸せに暮らしている。

さてと北の国から。

純くんや五郎さんが住んでいた家はやっぱり実際に目にすると二回目とはいえグッと来た。最後の作品となった“2002遺言”を見たとき、いったい何リットルの涙を流したことか・・・。


その後、今日のお昼に予約を入れた宿に向かい、一旦近くの温泉まで行った。

ちなみに旅行記は何日かあとになって思い出しながら書かないとまとまったものにならないなと思った。

思い出したままに思うがままに書いていくとあちらこちらへ話が飛ぶ。オリンピックの開閉会式くらいにまとまりがない。演出の責任者が言っていたダイバシティー・・・いわゆる多様性というやつだろうか。多岐に及んでいる。けれど調和がないままのてんでばらばらといったところだろうか。

なんとなく言い訳のために書いてみた。

そんなことを書きながらも、その日に起こったことをその日のうちに書くという新鮮さは取れたての野菜くらいに貴重なものだと思っている。

ああ、北海道の野菜美味しい・・・。

話が逸れた。

そう。
温泉に行った。
北海道の温泉はどこも趣があっていい。

特に露天風呂は格別で、ひんやりとした空気を感じながら温かいお湯に浸かれる贅沢はこの時期他の場所では味わえない。

サウナに入ると地元の住人らしい二人が先客でいて、ひとりは梅宮辰夫のような風貌の60代といったところ、もうひとりは50代辺り、梅宮辰夫の付き人のような感じだろうか、丁寧な敬語で辰夫の機嫌を取っている。

そこでふと辰夫が言ったのが「昨日も来たけど人が多すぎてやめたよ。世の中は四連休だったらしいからな」という言葉。

続けて「こんな田舎に住んでいると連休がいつかなんて情報すら入ってこないんだよな」と自嘲気味に言う。

それに対して付き人が「そうですよね。自分も連休だなんて知らなかったです」と付き人らしく話を合わせていく。

そんなものなのかとサウナの熱さに耐えながら聞いている自分。

そんなこちらの聞き耳が気になったのか次に辰夫が言ったのが「けれどそれが田舎のいいところだよな。変な情報に流されることがない」と自分が住む場所を持ち上げる言葉。

「そうですね」と付き人。

本当にそうかな・・・と思ったこちらの気持ちを見透かしたかのように続いて辰夫が「都会がいいなと思って出て行った連中はみんな失敗して帰ってくる」

・・・とこちらの胸にぐさりと刺すような言葉を投げかけてきたからサウナを飛び出し水風呂に浸かった。

頭を冷やしながら、名古屋から東京に出た自分の人生を振り返る。

そうしてまだ失敗はしていないな、よし、と納得し、さらにはこれからも負けちゃいけないなと決心した。

ありがとうございます。
そしてがんばります。

そういえば先ほど行った“北の国から”のロケ地。

石碑にされていた五郎さんの遺言の最後の言葉。

金なんか望むな。倖せだけを見ろ。
ここには何もないが自然だけはある。自然はお前らを死なない程度には充分毎年喰わしてくれる。
自然から頂戴しろ。そして謙虚に、つつましく生きろ。それが父さんの、お前らへの遺言だ。

色々と考えさせられた。
結局生きることの究極のゴールは幸せになることでしかない。

金持ちになる、成功する、好きな人に好かれる、結婚する、子供を持つ、有名になる、仕事で上手くいく・・・すべて過程でしかなく、手段でしかない。他人からどう見られようが本人が幸せでいること。自分が幸せになること。それこそが目指すべき人生なんだろう。

帰り道、ここで飲むのが正しい作法だろうと、スーパーでふらのワインとサッポロビールを買った。そうして今、宿でおいしく味わっている。

今日のところはこれが自分の小さな幸せだ。

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