親子丼に渦巻く複雑な親子の事情

いや別にいいんだけれど。
本当に全然別にいいんだけれど・・・

一昨日の昼。

お客さんと行った定食屋で、こちらを待たせまいという気遣いから事前に注文してくれていたという親子丼を食べた。

そうして食べ初めてからしばらくしたところで異変に気づいた。

食べても食べても鶏肉が出て来やしない。
それどころかタマネギすらほとんどない。

・・・。

なんだこれ?

ちなみに親子丼といえば・・・鶏肉という名の親がいて、卵という名の子供がいて、彼らが丼の中で家族関係を築くことによってようやく成り立つ親子のハーモニーであり、ファミリーであり、家族愛だ。

その関係は時にどうしようもなく煩わしさを感じてしまうような面倒な関係でもあるけれど、やっぱり離れようのないワンチームだ(古い言葉を使ってしまった・・・)。

そしてその家族愛で彩られた家族を丸ごとがっつりと食べる虐殺こそが親子丼を食べる醍醐味だ。

ひどい話だ・・・。

けれどもそこに親であるべき鶏肉がいない。

危険を察して逃亡したか?
もしくは子育て放棄か?

それとも・・・

「ごめんね・・・母さんだって女なのよ・・・」というやつだろうか。

まぁ、女性は何歳になっても女だ。
仕方がない。

とはいえ・・・子は親がいてこそ育つもの。
できれば戻ってきて欲しい。

そしてその身を丼に捧げてほしい。
玉子だけじゃ味気ない。

そんなことを考えながらふと壁に目をやるとメニューが貼ってあり、ツラツラツラと眺めていくとそこに『玉子丼』の文字が。

え・・・?
玉子丼・・・?

そういう料理ってあるの?
初めて知った。

裕福な我が家では見たことがない。

と自分の努力とはなんの関係もない生まれの良さという単なるラッキーを自慢しながらも気付いたことは「あぁ、お客さん、あなた、玉子丼を注文しましたね?」という本質に迫る事実だった。

そしてこの人は玉子丼のことを親子丼と呼んでいる。
どうやらここで、生まれについてのアンラッキーを背負った人を見つけてしまったようだ。

実はその場に、そのお客さん以外に関係者3人がいたけれど、全員の頭の上に『?』が灯っていた。「親子丼って言ったよね?」という疑問の言葉と一緒に。それはもう言わなくても表情を見ればわかる。

そうなるともう誰かが疑問を口にするかお客さんが白状するかを待つだけの状況になった。早くこの嫌な空気を断ち切ってくれ、そして他の男のところに向かってしまった母鶏肉を連れ戻して食べさせておくれ。

けれど、そんなこと誰も言えるわけがなく、その場に居合わせた全員の胃の中に静かに玉子だけが収まるという児童虐待的な出来事がひっそりと行なわれ、そして静かに終わりを迎えた。

午後一時を知らせるメロディーがどこかでピロピロと鳴っている。
さぁ、仕事を始めようか。

いや別にいいんだけれど。
本当は全然別によくはないんだけれど・・・。

おすすめの記事